負け癖について
「ハスラー」という映画があります。
ハスラーとは、実力がないフリをして相手を騙す詐欺師でありビリヤードのプレイヤー(勝負師)でもあります。
この映画はポール・ニューマン演じる若きハスラー、エディ(Eddie)がビリヤードで
シカゴ一の腕を持つ勝負師ミネソタ・ファッツと対決するお話です。
ここから先は内容に触れますのでネタバレが嫌な人は見ないでください。
エディは一回目の勝負であと一歩というところまでファッツを追い詰めますが、
結局敗北してしまいます。途中までボロ勝ちしていたところ、二人の闘いを見て
いた賭博師であるバート(Bert)という男に
「お前は、負け犬だ」
と言われ、その途端に負け始め結局ボロ負けします。
これは今回のタイトルである「負け癖」と深く関わってくる話なのですが疲れたので
次に続きます。かなり大事な話です。
名言厨です
なんとなくフワッと感銘を受けた言葉を書いていこうかと。
「怠け者の耳に入りやすいお言葉ですな。それでは、良薬ハ口ニニガシ、とか、艱難ナンジヲ玉ニス、という諺はどうなります」
「貴公は、諺で生きているのか」
と、継之助はふしぎそうに相手の顔をながめた。そういう人間の単純さのほうに興味をもったらしい。
「いくつくらいの諺を、頭にのせて生きている。二十ほどか。それとも百もあれば安心するのか」
「ばかな」
相手は怒りだした。しかし継之助はしゃらりとした顔で、
「諺なんざ、死物だぜ。世界中の諺を万とあつめたところで、どうにもならぬ」
「峠」 司馬遼太郎
でも私は一体に古い格言など好みませんの。その場限りに都合のいいことを云ってるだけで、一貫して我々の生活に責任をもってくれないと思いますから……。
「若い人」石坂洋次郎
うまい言葉の一言は、悪い本の一冊にまさる ジュール・ルナール
立派な箴言は、文学における大いなる逆説であり、、変化し行くものの中で不滅のものであり、ちょうど塩のように常に尊重されて不変の、利かなくなることのない食物である ニーチェ
負けず嫌い
前々から抱いていた「負けず嫌い」という言葉に対する違和感。
「負けず嫌い」という言葉は分けてみると
「負けず」が「嫌い」
と分けられます。そして「負けず」という言葉は、「負ける」という動詞に
打ち消しの助動詞「ず」がくっついてできているように見えます。
と、言うことは「負けず」という言葉は「負けない」という意味になります。
「負けない」ということは「「勝つ」or「引き分ける」」と同義です。
つまり、
「負けず」が「嫌い」
=
「「勝つ」or「引き分ける」」が「嫌い」
になってしまい、よくニュース番組などでスポーツ選手のことを
「○○選手は幼い頃から大の負けず嫌い」みたいな風に紹介されるのも、
「それ、言葉遣い違うだろ。伝えたいことと逆の内容だぞ。」
「それを言うなら「勝たず嫌い」だろ」
となってしまう。どうすればいいんだ。という前々から抱いていた疑問。
ネットでも色々な意見がありましたが「これだ!」という回答は得られず。
もう、寝よう。
強く望む
笑う門には福来る2
シオラン先生もこう言ってます。
最近、ある旧知の友人から手紙をもらいましたが、彼が言うには、人生にはもうなんの興味も湧かないというんですよ。私はこう答えました。
「忠告が欲しいというなら、ま、こういうことかな。もう笑う気が起こらなくなったら、それが潮時と思うべきだね。でも笑う気持ちがあるうちは、もう少し待つんだな。笑いは生と死にたいする唯一の、まぎれもない勝利だよ」。 『シオラン対談集』
山本夏彦先生も。
浮き世のことは笑うよりほかなし。
『浮き世のことは笑うよりほかなし』
とりあえず「暴力脱獄」見ましょう。邦題は酷いですが、内容は素晴らしいです。
Cool Hand Luke (1967) - A Night in the Box Scene (1/8) | Movieclips
もう笑うしかねぇよ、と。
笑う門には福来る
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50969521.html
小飼弾さんという超絶頭が良い方のblogで
幸せ⇒笑う
ではなく
笑う⇒幸せ
という順番なのだ、という記事が書かれていて納得。
たしかにそうかも。